ある親子のピーピングライフ

中野区から西八王子に引っ越してきました

人生の転換期は、断捨離しまくる

自宅に一時帰宅の間は、部屋の断捨離をしています。
子供がいるとなかなか進まないので、この機会にと。

さて今回で、何度目の断捨離でしょう。

最初に大きな断捨離をしたときは、確か30半ば。数年後、転職&妊娠&引っ越しをしていた。よく「物を捨てると、新しいモノが手に入る」と言っていますが、まぁ大きな転換期でしたね。

今回は、父のことをきっかけに、今の部屋の更新時期(来年3月)をめどに、実家(八王子)の近くに引っ越そうと思う。いよいよ、地元「中野区」から離れる時がきたんだ。

でも八王子はいい街だと思うし、何か少し中野に雰囲気が似ているとこも好き。

自然も近くにあるし、高尾山も近くにあるし。私の次のライフステージは、八王子というこですね。

 

今日で、半分くらいは終わったかな。

あとは衣替えの時に衣類と押し入れの中の断捨離。

最後は台所かな。

 

引っ越しの時までに、また少し物が増えるかもしれないが、ずっと使わないモノは、今のうちに片付けていこうと。

 

断捨離のいいところは、心の整理もできるしね。

私のセラピストの仕事は、なかなか「メイン」にしようとしなかった。本当はやりたいって思っていたのに。でも、何だかんだ言い訳して先送りしていたけど。

今度のきっかけに、改めて「セラピスト」の仕事がやりたい!って思ったんだ。もう先送りにしないで、ちゃんとやろうと決めました。

 

この時間は、本当にかけがえのない時間になっています。

お父さん、病院の皆さま、ばぁば、愛娘に
そして職場の皆さまに、心より感謝です。

 

 

 

 

父が入院して13日目

5月13日、父は入院した。

その時点で、すでに食事がのどを通らなくなって3週間くらい経過していた。
土日になると病院がやっていないので、無理をいってというか強行で「点滴をするため」に病院へ行ったら、即入院となった。

 

結論からいうと、内臓はボロボロで治療の余地なし。
余命1ヶ月もなく、現在絶賛終末期です。

最初は、涙が止まらなく、自分でもなんでこんなに泣くんだろうって思うくらい。
いい年こいて、声出して泣いて、、、自分でもコントロールできなくて・・・・

一人で自宅に戻った時に、オラクルカードで「泣く理由」を占ってみたら
「父の体の痛みを思うと、何でもっと早く病院に行かなかったのかという後悔と
 父の痛みに気づいてあげられなかったと、辛くて泣いていた」みたいだ。


自分の顕在意識なので、あまり自覚していなかったが、確かにそういわれるとそうかもと納得。

7月で86歳なので、平均寿命を超えて、自然の流れに任せることに抵抗はなかった。

病院も極力「痛みをとる」こと、家族の負担にならないようにと心に寄り添ってくれたこと。本当にありがたい。

 

最初は、一番安い部屋が空いていなくて、その料金のランクで入院していたんだけど、リカバリー室という部屋に入れられて、そこは閉鎖的で暗く、窓もなかった。

ナースステーションのすぐ裏なので、入院直後は 点滴と酸素の管をむしり取る状態だったので、それはそれでよかったのだが、残り時間、せめて人らしく過ごさせたいという、私のエゴで個室を希望。

ただ空いている個室が「特室」という部屋になってしまいやや高めだったんだけど、そこに10日間くらいいて、今日、もう少しリーズナブルな個室が空いたとのことで、移動してもらった。

さらに入院してから一度も食事をしていなかったが、なんとアイスクリームを口にしたそう。何だか、アイスクリームまで用意してもらったみたい(笑)

でも父が食べたかったNo1の食べ物が「ソフトクリーム」だったので、本当にそれを聞いた時は、嬉しくて泣いてしまった。

 

父がお世話になっている病院は、本当に家族を第一に寄り添ってくれることを感じます。ここで病院選びって、改めて大事だなと。もちろん技術もそうなんだけど、患者家族の対応を受け入れてくれるかは、本当に重要だと思った。

 

私は、夜病院に泊まって、連泊3日目には自宅に戻るという生活で過ごしています。
今夜は自宅の日で、明日また病院に行ってきます。

 

最初は、急に始まった介護生活に「たたかう」という言葉がでてきたんだよね。
誰と戦うのか不明なんだけど、まぁ、いろいろ大変な事にむけて戦うぞって思ったんだろうね。

でも途中で気が付いたのは「たたかう」のではなく
「(父と)共に生きる」ことだったと。

 

父が辛そうな姿をみて何もできない自分にうろたえるんじゃなくて
その状況が「生きる」ってことなんだと。
痛みがあることは、生きている証なんだ。

 

「歩んできた人生に、有難みを知るため」とも教えてくれた。
確かに、自由に生きてきた父だからね・・・

 

この時代、核家族になってしまい、1人や2人で介護をするって無理です(^^;
公助、共助のサービスも増えてきているので、利用できるものは利用すべきだと考えています。

じゃないと、本当に家族の体力・メンタルが持たない・・・

 

何もできないけど、せめてそばにしたいという思いで、病院に行ってます。

父には、病状の話はしてなくて、最初は「早く家に帰りたい」と連呼していましたが、ようやく自分の体の痛みと変化(腹が水?で膨れてきたり)で、現実に向き合っているのかもしれない。

 

 

5月20日早朝6時半ごろかな。入院中の父から電話がかかってきた。
声がものすごく、動揺して、呼吸をするたびに機械音が聞こえて、
ただ事じゃないと悟って、意識があるうちに伝えなきゃって思って

「大好きだよ!家族になってくれてありがとう!」って何度も言った。

父は優しくうなずいていた。

私は「大丈夫だからね!元気になったら(私の)うちに遊びきてね!」って何度もいって、電話を切った。

 

もしかしたら、あの時で寿命は終わっていたのかもしれない。

私が強く強く神さまにお願いしたから、今は神さまがくれた時間だと思っている。

 

もっといえば、父は10年くらい前に大事故を起こしているが、後遺症もなく命が守られた。もしかしたら、その時に死んでいたかもしれない。
あれから生きて来れたから、初孫も抱っこできたんだよね。

 

「生きているだけで奇跡」ということは、こういうことなんだ。

 

これは周りに起きていることではなく、今自分自身が体験していること。
それは、父が自ら教えてくれた 命のこと。

 

 

長々と書いてしまいましたが、、、
神さまがくれたこの瞬間、瞬間に感謝です。

このまま穏やかな時間がずっと続きますように。

 

 

捨てる神あれば拾う神ありーー「自転車、拾ったよ」

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先週、自転車の駐禁をしてしまい「あぁ、5000円とられる(罰金)・・・」と、翌々日に自転車を引き取りに行く途中で、コレを見つけてしまいました。。。

愛娘が、目を輝かせて「乗りたい!」と言ったのですが、私はまだ早いと思っていたので、「(ママの)自転車を取りに行った帰りに、まだあったら考えるね~」と言ったら、何とも言えない表情をされました。。苦笑

自転車の保管場所はその場からすぐ近くだったので、よっぽどのことがない限り無くなりはしないだろうと思っていましたが、、、、はい、ちゃんと自転車はありました。

一応、パンクはしてないし、ブレーキも大丈夫そう。。。

「罰金5000円は、この自転車を手に入れるために払ったと思えば・・うぅぅ」と何とかポジティブシンキングに変換して、「うちの自転車」になってもらいました。

 

まわりの同世代の子は、ストライダーを乗りこなしているけど、うちの子は未経験で、いきなり自転車(補助輪なし)かよぉぉ。まぁ、昔は、ストライダーなんつーものはなかったけどね。

自分の幼き頃、確かに小学生になる前には自転車乗っていたなぁと思い返しつつ・・・

 

予定より早く「自転車の練習」がくるとは。。。
子供が自転車にのって、私走るのね。。。まぁ、ダイエットにちょうどいいかもね!

 

 

物より思い出(体験)を大切にしたい

子供は、物をあげても すぐ飽きる。

使わないおもちゃの山が、その意味を語る。

なので私は、「誕生日」「記念日」には、物ではなく「体験」をプレゼントしたいと思う。

今年の「こどもの日」は、初山登り。高尾山に行ってきました。
途中、疲れたら引き返そうと思ったのですが、なんと!登頂できました。

小さな足で、大地を踏みしめる姿は、とても頼もしかったです。

その視界に映る風景は、どんな感じだったかしら。

 

 

仕切りの直して・・・ブログ再開

気が付けば、2021年5月8日。

昨年末から世界、日本の動きに翻弄されながら、コロナの影響により、ライフスタイルを見直しております。

コロナに置いては、飲食業界、旅行業界、医療業界、介護業界などを始め、本当に大変な日々を送られている方にとって、1日でも早く終息を祈ります。

 

気が付けば、子供は年中さんになりました。

高齢者の父は体調を崩し、ハラハラしていた日々ですが、何とか落ち着いたところです。

そして、、ブログを再開。。。

ちゃんと習慣にしないとなぁぁ、何もせず歳をとってしまうわ。。。

 これからは少しずつ更新していきたいと思いますので引き続きよろしくお願いします。。