ある親子のピーピングライフ

中野区から西八王子に引っ越してきました

わたしが、わたしで、あるために

喜怒哀楽の「怒」は、

年を重ねながら、ちょっとずつ減らしていったつもりだけど

時々、その「怒」は、自分の中からあふれ出すこともある。

 

許せないことを、自分に対してやられた時。

周りに迷惑をかけているのに、まったく気が付かない時。

自分勝手ばかりで、周りの空気が読めない時。

 

「怒」は、自己防衛反応なのかもしれない。

自分に近づくなっていう威嚇のサイン。

 

「怒」は、ものすごくエネルギーが必要でストレスフルだから

本当は、その感情を捨てたい。

でもね。

 

たまに「怒」の感情を出すと、

自分の不完全さを振り返ったり、

その時に、自分の悩みを相談できる人がいるってことに感謝したり、

もっと強くならなくちゃって反骨新が生れたり、

それなりの意味があるもんなんだ。

 

喜怒哀楽の漢字の順番に、どれほどの意味があるかわからないけど、

 

この世に生まれた 喜び、

時として自分や人を許せない 怒り、

時として不可抗力がおそう 哀しみ

そのすべてがつながり、くりかえしながら

さいごに、楽しかったって言えることが、

きっと、幸せなんだと思う。

 

 

喜怒哀楽を感じるってことは

わたしが、人として感情を忘れていないってことだ。

 

わたしが、まだ自分の中にある能力ややる気が眠っているのなら

これを出さずして、死んでいいもんか。

 

 

やらないより、やってみてどうか。

失うものなんか、ないもんね。